新聞広告の記事中とは、雑報広告のひとつ。
雑報広告は、記事下以外を指します。
同じ雑報広告でも、突き出しは記事の左右の端に入りますが、記事中は記事の途中に差し込まれる形で入ります。
記事を読みながら自然に目に入るので、スペースは小さいながらも効果的です。
広告はユーザーに非常に嫌われています。
従来、それほど広告は嫌われるものではありませんでした。
テレビのCMソングは流行歌になり、ファッション誌の巻頭のブランド広告は憧れを誘いました。
新聞の折り込みチラシだって、お母さんがスーパーの割引をチェックするだけでなく、子供たちがトイザラスのチラシを食い入るように見つめていたものです。
しかし、80年代頃にテレビの録画機器が普及すると、CMは飛ばして見るのが当たり前になりました。
さらに2000年代にインターネットが普及すると、新種の広告がバンバン登場します。
チカチカと点滅するようなテキスト広告、ポップアップ広告、自動再生される動画広告、アダルト広告、営利目的を隠したサテライトサイト、広告であることを隠したステルスマーケティング、スマホのモバイルアンカー(画面下にずっと滞在するバナー)など。
インターネットには、ユーザビリティを阻害したり、ユーザーを騙そうとするような広告が溢れています。
ユーザーがここまで広告を嫌うようになった一端が、ネット広告の氾濫にあるといえるでしょう。
これからの広告は、できるだけストレスなく広告を見ていただく工夫と、ステマを行わない誠実さが求められているのではないでしょうか。
バナー広告のクリック率が下がり続ける一方で、ネットの広告業界ではネイティブアド(記事と同じ体裁で、メインコンテンツに溶け込ませる広告。記事広告に近い)に活路を見出そうとしています。
しかし、ネイティブアドはユーザーの嫌うステマの最たるもの。
ネイティブアドに「PR表示」を入れるかどうかという論議がありますが、本来「嘘をつかない」というのは企業の基本姿勢であるべきで、この論議自体があまり感心しません。
さて、そういう意味で、新聞広告の記事中広告は、広告であることをけっして隠さないストレートな誠実さと、ストレスなく自然に見てもらうという意味で、好評価が得られる広告枠なのです。
記事を読みながら自然に目に入りますが、サイズに制限があるので、それが記事を読む邪魔になるというレベルではありません。
昔からある広告枠なのであまり注目されませんが、実は記事中広告のような「誠実さと自然さ」を併せ持つ広告は少ないのです。
枠が小さいのでデザインはテキストベースとなりますが、連載して繰り返し訴えるような商材に向いているといえるでしょう。
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